Platinum Interview 2019年11月
第5回
髙栁時計宝飾店
熊本県熊本市
代表取締役社長
髙栁 隆大氏
熊本市内一番の繁華街、下通アーケードの中心という好立地にあり、明治から続く老舗の髙栁時計宝飾店。
2016年4月に2回続けて発生した地震により、店舗も大きな被害を受けましたが、2018年末、2年半の時を経て新店舗として生まれ変わりました。
130年近くに渡るお店の歴史は、つねに天災等の苦難に翻弄されてきました。
しかし創業時から変わらない実直で誠実な経営と、技術に裏打ちされた信頼により、老舗の暖簾は今日に至るまで脈々と守られ続けています。
再建されたばかりの明るく清潔感あふれる店内で、4代目である髙栁社長にお話を伺いました。
まずは再建おめでとうございます。これまでのお店の歴史を教えていただけますか?
1893年に創業し、今年で127年目を迎えます。時計の修理から始まり、ラジオやレコード、メガネ、そして宝石を扱っていたそうです。第二次大戦後すぐに「髙栁時計店」として今の場所にお店を開きました。明治から大正、昭和と激動の時代をしなやかに生き抜いてきたのは、つねに時代の流れに乗り様々なニーズにお応えしてきたことと、商品在庫に左右される販売だけに留まらず、技術力で対応できる時計の修理やアフターサービスを柱としてやってきたからだと思います。
お店の歴史はそのまま災害の歴史でもありました。第二次大戦中に空襲で焼き出されたものの、すぐに廃材でバラックのお店を再建。3年後には木造2階建ての店舗を再建しました。しかし1953年には昭和28年西日本水害により被災。店舗は2階の床まで水没したそうです。更にはその8年後の昭和36年、今度は隣店の火災からの延焼で店舗は全焼。なぜこうも立て続けに災害に見舞われるのか、当時は空を見上げてため息をつく日々だったそうです。しかしそれでも、何度でも息を吹き返してきたのは、やはり時計修理の技術があればこそだと思います。そして1961年には、「災害に強い」をテーマに防災ビルとして新店舗をオープン、50年以上この土地で親しまれてきました。
ところが鉄筋コンクリートは水害や火災には強かったのですが、地震にはそれほどでもなかったようです。熊本地震の前震は耐えたものの本震で柱が爆裂。建築会社や大学教授など様々な専門家に診て頂きましたがいずれも修復は不可能との結論。またもや建て替えを余儀なくされました。しかも今回の熊本地震では広範囲で被害が拡がったため、罹災証明にせよ解体にせよ順番待ち。特にアーケード街のビルは解体できる業者が2社しかなく、再建まで2年半の時間がかかってしまいました。本当に長かったですね。昨年末やっとオープンできて安心しています。
商品について伺います。再建前と後では客層や売れ筋は変わりましたか?
まず現在、宝飾と時計の割合は7:3くらいです。創業時から昭和まで「髙栁時計店」という屋号を掲げていましたが、平成に入りジュエリーの比重が高くなったことで「ソフィ・タカヤナギ」と社名変更。そして今回、再建に当たり創業当時の立ち位置をもう一度見直すということと、時代に即した会社にするという意味を込め、宝飾を加えて「髙栁時計宝飾店」としました。
宝飾ではパールとファッションジュエリーが主力で、ブライダルが続きます。パールは天草で真珠の養殖が行われていることなどから旅行客の方も認知度が高く、インバウンドの需要も喚起できればと思っています。ファッションジュエリーではダイヤモンドよりも色石の方が人気です。
ブライダルについてはまだリニューアル以前の数字には戻ってはいません。現在の若いお客様はインターネットでブライダルジュエリーを予約して購入しているようですので、ネット対策が急務です。アフターサービスも含めてうまくアピールできればと思っています。
また、今の若い人たちはピアスを開けることも少なくなっているようです。ジュエリー、アクセサリーもファストファッション化しているようで、パールもピアスよりイヤリングが多く出ています。
今までの顧客層と若い世代の方とではジュエリーに対する考え方が根本的に違うように感じていますので、その世代間ギャップにどのように対応していくのかが今後の成長のカギと思っています。
以前からPGIと深く関わっていただいていますね。
そうですね。先代の時はPGIの小売店組織に参加していました。
私もセミナー等何回も受講しています。
私のPGIとの思い出は、何といっても南アフリカのツアーに尽きます。(PGI注:新たなブランディングに合わせて行ったキャンペーンにより、選ばれた小売店と消費者で南アフリカのプラチナ鉱山を訪ねるツアーを2004年に実施しました。)
地球の反対側、南アのプラチナ鉱山で、地中深く、1000メートルほど地下に潜って実際に採掘現場を見られたことは、驚きと共に本当に心に残る体験でした。プラチナを掘るのにどれだけのコストがかかるか、プラチナの貴重さをあらためて感じました。
私の宝飾人生の中でも、プラチナのように燦然と輝く1ページです。
また、これまでもプラチナで製作されたウェディングドレスを始め、十二単やブーケ、宝石箱と、世界に一つしかない大変貴重な品々をお貸し頂いて展示させて頂きました。プラチナの希少性と美しさを熊本の方々にお伝えする良い機会を頂けて本当に感謝しております。
今後の展望をお聞かせください。
私たちの店が何度倒れてもその都度立ち上がってきたのは、販売というモノだけに頼らず、技術力を継承してきたからです。大きく広げることなく目が行き届く範囲で、誠実に、今あるものの質を高めながら商売を行ってきました。だからこそ大きな災害にあってもまた前を向いてこられたのです。
当店の強みは、時計修理やジュエリーの加工を店内で行えることです。プラチナを溶解することもできます。
私自身も、アメリカのGIAに通い宝石鑑定や彫金やデザインを勉強、また東京で働いていたころに夜間学校でヒコみづのジュエリーカレッジに通い時計の修理を修行してきました。そのようにして培った技術と、元々当社で積み重ねてきた技術と経験を融合させ、お客様の難しい修理やリフォームの依頼に迅速に対応することで、信頼を積み重ねてきました。
またそれこそが、これからの小売店に求められていることであると信じています。
髙栁時計宝飾店はこれから先も、プラチナのように色あせない輝きを放ち続けていきたいと思います。
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